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Takanori Sakai

眠れぬ夜の友、深夜特急

残暑が厳しいおり、皆さんはお元気でやっておられるであろうか。小生はお陰様で元気で過ごしている。沢木耕太郎氏の深夜特急にハマっている。この本は、インドのデリーから、イギリスのロンドンまでを、バスだけを使って一人旅をするという目的で日本を飛び出した沢木氏の物語(というよりは日記的な本)である。80年代~90年代、バックパッカーブームを作った。現在ではすっかり腰も(体重も)重くなってしまった小生も、学生時代はシルクロードを貧乏旅行した。しかしこれまで沢木氏の本を読んだことはなかったのだ。まさに未知との遭遇である。

「学生時代にシルクロードを貧乏旅行したのなら、この本はきっとサカイさんの趣向にハマるのではないですか?」。クライアントのF氏が私に言うのである。彼女はこの本に学生時代にどっぷりとはまり、インドから入り世界各国を走破したそうだ。インドを訪れた人には、その国を大好きになる場合と、大嫌いになる場合の2極しかなく、中間がないと聞く。F氏は前者で、「インドにはすべてがある。生と死。栄光と敗北。超富裕層と超貧困層、それらが混在していて日常的に見えるのが世界の現実を可視化していた。」とのこと。それらを体感・言語化した沢木氏の表現も素晴らしいとのことであった。本に興味をそそられた小生は、遅ればせながら横浜市中央図書館で借りた深夜特急文庫本を読みだした。深夜特急と言うからには深夜に読まねばと思い?就寝前に読むことに決めた。

沢木氏が香港から入り、(できる限り)陸路で最終的にロンドンに到着するまでの苦労は文章を通して読み取れるだけではなく、自分の体感と重なりわかる部分もかなりある。無論年単位(だろう。正確にはわからないが)で貧乏旅行をした沢木氏と、たった1ヶ月半それも一国(中国内)を旅した自分とを比較するのはおこがましいかもしれない。それでも同様にバックパックを抱えて1人途方に暮れた経験を持っているなど、共感できる部分はかなりあった。沢木さんの旅の目的は、「バスでロンドンまで行く」であったと思うが、小生の20歳当時の旅の目的は「できるだけお金をかけずに、中国で最も日本より遠い場所まで行く。」であった。彼も本で述べているが、目的に必然性はない。しかし不思議なことに目的があると、それが灯台のように道を照らし、そこに辿り着くためのエネルギーを与えてくれるものである。個人差はあるだろう。小生はそう感じたということだ。

タクラマカン砂漠というのがある。中国国内の内モンゴル地域に存在している。その砂漠を3泊4日のバスで走破したことがある。道すがら何時間も砂漠の道でエンコしたということもあった。哈密(ハミ)という街に着いた時にはドミトリーを探すこともできず車中に一泊した。当然トイレもない。ご婦人も多数乗っていたが用を足すのはさぞ大変であったことであろう。私は北京から入り、中国シルクロードの最西端のカシュガルまで陸路を旅したが、いつも食料に不安を感じていたので、水とマグカップ、そしてなにがしかの食料(主にパンなど)は常に携帯していた。しかしバスが停留する度にどこからともなくゆで卵などを売りつける輩が現れたものだ。大丈夫かなと思わないこともなかったが、まわりの乗客が平気で食べているのを見て、一緒に食べ下した。そんな体感であった。

沢木氏はその旅を通して一生の仕事を見つけた。とても幸運なことであろう。自分がその旅の終わりに果たして何を見つけることができたのか。多分それは「道理」というものなのではないかとも思う。人は生まれる時代と場所は選べない。その決定的な事実を受入れてできることを精一杯するしかないものだということであろう。しかし時代も変われば道理もどんどん変わって来る。小生が旅した当時1988年頃は中国国内は大変に貧しかった。しかし今は世界第二位の経済大国である。そうした環境の違いで人びとが享受できる幸福も、当時と現代では大きく異なっている。それもまた道理なのであろう。沢木氏が最終的にどのように旅を終えるのか、最終回を見るのが楽しみである。

旅するコーチ

https://ameblo.jp/sakaitgg/entry-12620660177.html


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