夕暮れ時に




夕暮れ時に一献やることにした。昭和の風情が残るとある繁華街の片隅である。店が満席になるギリギリセーフの時間に足を踏み入れると、愛想のよい店員が笑顔で出迎えてくれた。店は肉バルでそこそこの有名店。この繁華街は昭和の風情が残るとは言っても、客層はすっかり若返ってしまっており、この店も五十路の私を除けば20代から30代のグループで埋め尽くされている。幅の狭い長細い長方形のフロア・スペースに4人掛けテーブルが5~6組、あとはカウンターである。1月の寒空に使う人はいないが、道路に面したテラス席が2組。ペット同伴の客層を引き付けるためであろう店外に配置されている。

さて、この日のメニュー決めである。肉屋のポテトサラダ、カプレーゼ、そしてメインにステーキと決めた。Good Enoughな量であろう。ドリンクはワインの3種お試しセットである。サンジョベーゼ、メルロー、カベルネ・フランがそれぞれ60ml程度ずつ、小ぶりのグラスで賞味できる。多品目小ロットを好む者にとっては良い選択肢であろう。今回は赤のみを選んだが、白ワインも含めて合計6種類の中から3種類を選べる。ということは、組合せは6×5×4/(3×2×1)で20通りあるということだ。もっとも20回も来ることはなく、パートナーと来て相手に頼んでもらい、一口ずつシェアすればすべてを一度で体感できる。

事が起きたのはお通しとドリンクが運ばれてきてしばらくたったころ。後ろの三人連れの女性客が、お会計を払おうと帰り支度を始めた時である。その1人が立ちくらみ、床に崩れるように倒れてしまったのだ。グラスや皿がテーブルからすべり落ち、けたたましい音を立てる。小さな店のことであり、何事が起きたのかと全員の視線がそのテーブルに集中した。

「すみません、すみません。お騒がせしてすみません。このヒト、今、不妊治療のためにお薬を服用していて、そして今日辛いことがあって飲み過ぎてしまったんです。」ト、とりなしのためか、ご友人らしきお連れの女性が周りのお客さんに説明をしはじめた。倒れた本人はまったく前後不覚となっていて、お店のスタッフが介抱している。結局自力で立ち上がることができず、お連れの女性もかなり怪しい様子だったので、スタッフが2人がかりで彼女の両脇を抱え、まるで連行するかのように外へ連れ出して行った。店内が落ち着きを取り戻してから、スタッフとこんな対話をしたのだ。

私    「さっきの人は大丈夫でしたか。」

店員 「はい、タクシーで帰られました。いろいろとご迷惑をおかけしてすみません。」

私    「こちらは大丈夫だけど、ちょっと心配なくらい泥酔していたね。」

店員 「はい、30分でボトルを2本も空けられてしまったので、大丈夫かなって心配していたのですよ。」

彼女にあった「辛いこと」がどんなことであったのかを私は知らない。人生にはいろいろと辛いことがあるものである。しかし辛いことも「おみくじの凶」と同じように続くわけもない。

「なんだよ、ここまで来て結局おみくじかよ。1月も中旬でいつまで引っ張るのだ?」という声も聞こえてきそうだが。お伝えしたいことは、「辛いこともそうは続かず、幸いなことも起きるよ。」ということ。人生を長い道のりとすれば、浮き沈み、山谷あるのが自然であろう。そもそも「辛い」と「幸い」の違いは、横棒が一本加わるかだけではないか。今は「辛い」ことも一本道が加われば「幸い」が待っているのである。彼女が事故無くご自宅へ戻られて元気を取り戻してくれればと祈念する夕暮れ時であった。

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